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【明石邦彦のつぶやき】人生の経営戦略 |
2025/12/19 |
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息子から勧められて「人生の経営戦略」(山口周著)を手に取った。人生における経営戦略とは何ぞやと思ったが、読んでみると如何に時間配分し、自分の人生を充実したものにするかの論議である。私は経営企画部に長く所属していたために経営用語をそれほど苦にせずに読み取れる。さて、自分の人生を振り返るとどのようなライフサイクルであったか理解できるし、また、自分の意思で転職したことも思い出される。60歳過ぎて、残り人生を社会貢献にしようと踏み切った当時を思い出す。この本はどのように我が人生を評価してくれるのかと思ったりした。
最初に目についたのは人生論の流れである。2大潮流としてマキャベリ的な人生論とルソー的人生論があるそうだが、私は二つとは違い、アリストテレス的な人生論といえそうだ。以下それぞれの解析を引用した。
①マキャベリ的人生論:残酷な社会ゲームを冷徹に勝ち取り、生き残って経済的、社会的な成功を収める。(本音:経済的・社会的に成功したけど虚しい)
②ルソー的人生論:経済的、社会的成功の虚像に囚われず、自分らしく生きて本当の豊かさを手に入れる。(本音:自分らしさを追い求めたけれど経済的、社会的に不安)
③アリストテレス的人生論:自分らしく思える人生を歩み、経済的・社会的にも安定した生活を送る。(自分らしい人生と経済的・社会的成功を両立)
自分としては①のように社会を大きく変える度量もないし、富に執着する気もあまりない、少しお金に余裕があれば「良し」である。また、②のように自分らしくには徹底できそうもない。霞(かすみ)を食って生きることは望まない。障害者の親の立場からするとやはり経済的な余裕は必要である。そうなると、退職後、福祉活動へ転身したことに満足しているから③の境地ではと思っている。
人生の目標は時間資本配分を考えて、持続的に幸福で、満足のいく状態(Well-Being)を実現することだそうだ。人生の終わりに際して「自分らしい、いい人生だった」と告げて、締めくくりたいものだ。時間資本を考える場合は年代によって変わるが、若いころは持て余すほど多くの時間資本を有意義に使い、人的資本(スキル、知識、経験など)を積み上げ、社会資本(信用や評判、ネットワーク・友人など)を生み出し、金融資本にやがてつながるという構図である。各資本が年令ごとに3つの資本に時間配分して傾注すればそれなりに各資本が膨らむことになる。
人生の長期計画は時間資本の配分により、変わるものであるから人生のライフサイクルカーブも商品と同様なサイクルで考えるべきと著者は述べている。商品や技術のライフサイクルは経営企画部では得意分野である。すぐに、導入期、成長期、成熟期、衰退期が思い起こされる。人生を春夏秋冬と例えれば、春が20代、夏は30~40代、秋は50~60代、冬は70代以降となる。それぞれのステージでやるべきことを考えると
春:夢中になれる対象を見つける。自分の得意・不得手を知る。(試す)
夏:密度の高い仕事で、人的資本、社会資本を築く。(築く)
秋:仕事のポートフォリオを持つ。機会を譲り、人を育てる。(拡げる)
冬:後進の活動を支援する。人と人を繋ぐ。(与える)
なお、それぞれのライフステージで振る舞いが変わるし、役割や貢献も変わってくると思われる。短期的にみると不合理と思われるかもしれないが長期的には合理となるように過ごしなさいとある。
そうなると、80歳を迎えた自分の振る舞いを考えると「名誉は若い人に譲り、人が育つことに喜びを感じる」ような振る舞いが求められる。一応、それなりに振舞っているが、それが若い人たちに伝わり、若い人たちが大きく育つかの問題がある。あくまでも受け手の感受性が高く、素直に傾聴できる心構えがあるかにかかっている。受け手が聞く耳を持たないとコミュニケーションの本来の目的である「意思疎通」には至らないことになるだろう。
私には残り少ない人生であるから「与える喜び、支える喜び」に徹しようと思っている。本書の提示通りの人生である。それをサーバント・リーダーシップというようだ。「あれー、どこかで聞いた言葉だな」と思って、本棚を見ると「だから僕たちは、組織を変えていける」(齋藤徹著)に出ていたことを思い出した。この本は不確実性の高い時代(VUCA)にサーバント・リーダーシップの必要性を論じていた。なるほど、自分の立場が今まさにそうなのだと合点した理論であった。支配型リーダーからの転換は年齢によって変わることも理解した。色々な本を読み合わせていると対象は異なるが、結び付くことはあるものだ。
そして、昔のように「流動性知能」(過去の経験や学習に依存せず、論理的に考えたり、パターンを見つけたりする知的能力)を使えるような柔らか頭ではないことを自覚すべきだろう。年とっても救いがあるのは「結晶性知能」(過去の経験や学習によって蓄積された知識やスキルを活用する知的能力)が磨かれていくことだといわれている。「流動性知能」が未経験の問題に対処したり、スピードを要する案件に対して論理的に判断するのに対して、「結晶性知能」は複雑なアイディアをわかりやすく説明したり、混乱した状況で適切な判断することができる能力といわれている。なんだかオリジナリティは低い知能だが、整理とかは積み上げてきた知識によるので老人向きの生き方の姿と思われる。知性の質が異なることは若い人と老人で物事を作り上げることができるように思える。高齢になっても知的なパフォーマンスが低下しないことを知ると安堵感を持って対処できそうだ。
そういえば、2-3年前から自分ながら「冴えているな」と実感することが多くなった。これは「結晶性知能」が磨かれてきたと理解した。
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