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【明石邦彦のつぶやき】日本生物工学会を退会 |
2025/12/8 |
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昨日、日本生物工学会より「会員システムのリニューアルを行っているので、メールアドレス、所属、住所、生年月日などを確認の上、更新してほしい」という手紙が届いた。確かに転居もしたし、個人メールは不通だし、所属先は福祉関係だし、書きにくいと思った。また、雑誌が届いても、中身にはあまり興味がなく、巻頭言のみを読み、そして、ごみ箱に投入している現状がある。その結果、50年以上続いていた会員をやめる決断に至った。早速、事務局に退会届を提出した。メールを打つとすぐに返事が来て、「味の素関係で当会の発展に貢献していただいたことに感謝」という返事が来て、退会が了承された。
さて、日本生物工学会は旧名「醗酵工学会」であり、30歳以前からの会員である。どちらかと言えば、阪大や京大の出身者で固められた学会である。私は28歳から学会発表を日本農芸化学会(春の大会)と醗酵工学会(秋の大会)を中心に発表した関係で、二つの学会に入会していた。今では阪大出身者の方に理事や編集委員の役割を担っていただくようになった。バイオプロセス研究所(生産技術研究所の一部)時代の部下であった松井氏や岩谷氏が理事の役割を担い、活躍していただいていることで味の素のバトンタッチもうまく行われたと感じている。事務局へ出した退会届の所にもそのような関係を記して、退会の辞とさせていただいた。醗酵工学時代は今中先生や清水先生方とお付き合いをしたことが思い出された。特に思い出深いのは、生産技術研究所の時代、今中先生たちが主宰される夏の琵琶湖の研修会に参加した時のことである。そのゼミには海外からも多くの研究者が参加していた。味の素の参加者として最新の研究成果を紹介するようにとの依頼があった。私は部下の小山氏と一緒に研究していた「膜酵素循環法」を発表することになり、琵琶湖湖畔(近江地区?)のホテルに出かけた。今中先生にご挨拶し、自分のプリントの準備などであわただしく過ごした。一夜明け、朝食会場に出かけた。少し遅れてきたために席が空いていなかった。偶々席が空いている場所を見つけ食べていたところ正面の先生の周りに海外の先生方が畏まって朝食をとられていた。その先生には近寄りがたい威厳が漂っていることに気が付いた。じっとお顔を拝見していると東大と阪大で同時に教鞭をとられている合葉修一先生であった。「Biochemical Engineering」の本を書かれた世界で有名な先生であった。その方は生物化学工学の生みの親として尊敬され、厳しい指導で有名だった。だから参加した皆さんは遠慮して前に座らなかったのだと理解した。周りの人から見れば「どこかの馬の骨が先生の前で食事するなんて」と思われたことだろう。その後、食事をするときは顔見知りの先生と一緒に食事をするなり、周りを見ながら席に座るように心がけている。夏の季節であったので、琵琶湖の遊覧ツアーも組まれており、緊張しながらも楽しいひと時であった。因みに合葉先生は平成30年に94歳で逝去されたそうだ。厳格な指導の下に優秀な研究者を幾人も育てられたようである。その人たちが今の生物工学会の隆盛を支えていると思うと感無量である。28歳からの会員と考えると52年間会費を納めたことになる。長いなりの思い出はあるものだ。これも区切りの一環だ。
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