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【明石邦彦のつぶやき】熊本の芦北町へのこころ旅 |
2024/11/29 |
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日曜日の夕方、食事作りをしていたら今年の春の旅(熊本編)が放送された。火野正平さんが腰痛で番組中止となった旅だ。亡くなった方の放送をすぐ見ると涙が出たりするので、避けたいのが本心なのだが。しかしながら、一度も見ていない情景なので、ついつい画面にくぎ付けだ。画面は熊本県の芦北町までの輪行である。お便りの出し主はサイクリング好きで、九州や四国を1周された方である。その方が初めて購入した自転車で友達と芦北町に出かけ、海岸でラーメンを作って食べたという話だ。送られてきた写真には海岸沿いの森(緑?)の小径に焦点が当たっていた。また、目的地までは平坦な道で体力を使わないようなことが記されていた。腰痛持ちの正平さんは「平坦だ!平坦だ!」と言って喜ばれていたので、どんなにか心強い文章だったかを理解できる。でも、チャリオに乗っている姿は腰痛を全然感じさせず、颯爽とされていた。無理されていたと思うと何ともいえない気持ちとなる。サラーと見ただけなので、記憶が鮮明ではないが、昼は好物のネギラーメンを食べられたシーンがあった。食べ終わってお店を出るとき、お店の方に「少し残しました。もう年だから。」と言い訳されていた。たいした量ではないと思ったので、体調でも悪いのかなと思ったりした。途中、ミカン畑の横を通過した時、ミカンの木は晩白柚だと知らされた。熊本(八代近辺)は晩白柚の一大産地だったことを思い出した。男の人が晩白柚の大きな実を見せて、刃物を入れ始めた。そうするとお母さんらしい人が出てきて「まだおいしくない」ような話?だった。食べるのではなくお持ち帰りを奨めたようだ。お母さんと正平さんとで言葉が交わされた。話の途中で正平さんが「言葉がよくわからない」と言われた。お母さんは「こうだ弁だから」と返された。言葉のやり取りが何とも言えない掛け合いの良さを感じた。ところで、こうだ弁ってどんな字を書くのだろうと思っていたら駅名で「肥後高田」が示された。「たかだ」ではなく「こうだ」と読むことが分かった。その後、お母さんとの会話が弾み、お土産に晩白柚、他2種類のミカンをいただくことになった。大きな袋4つに満杯だったから自転車で運ぶとなると重くてバランスがとりにくいことだろう。HNKの車が近くにいればよいのだろうが、遠いようだった。その後、手紙に書かれた目的地に到着した。正平さんが言い出したことだが、「お手紙を読む時、バックは森の小径より海岸の岩礁などが見える方がよい。」となり、写真で示された地点より少し先でお手紙の内容を語られた。今回のこころ旅は最初から涙腺が緩みっぱなしで、ようやく終わりを迎えた。放送終了時には「11月14日にご逝去されました。・・・」が映し出された。未放送の春の旅を追悼番組として放送したのだった。さて、熊本の旅は何日分撮り貯めしたのだろうか、それとも、これ1作で終わりなのかしら。そうすると14年かけた正平さんのこころ旅は1240日目で終わりを迎えたということになりますね。
なんだか私にとって正平さんロスはしばらく続きそうだ。エーン!エーン!
写真:①芦北町の紹介 ②晩白柚
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