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【明石邦彦のつぶやき】35年ぶりの再会 |
2024/3/28 |
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名古屋に住む姪から電話があった。「大田区に住む息子夫婦に会いに行くので、川崎でお会いしましょう」という話になった。義兄には大変お世話になったし、姪たちは中学・高校の時の遊び相手の関係である。福岡の実家で姪たちとわいわい騒いだ仲で、他の甥や姪たちより最も関係が深い。姪は主人と一緒に伺うと言ってきた。ご主人は私たちの大学の2年後輩である。なんでもご主人は静岡で研修があったので、帰りに寄るとのことである。早速、食道園を予約し、4人が顔を揃えることになった。徹之には「食道園で食べるので、酒を控えるように」と言っていたが、いつの間にか飲み過ぎて、グタグタになり、「行かない」とのことであった。食道園では姪夫婦との会話は弾み、香椎(福岡の実家)での思い出話や姪の両親の生きざまの話になった。そこまでの話で、座は盛り上がっていたのだが、私たちのなれそめの話になると思い出がフラッシュバックとなり、グッと来てしまった。ついつい昔の熱量の大きさを思い出した次第である。
姪から「ゾッコンはどちらか」の話となった。会話の中で色々な話が蒸し返された。そういえばこんな話があった。私が入社して2年目で、プロテアーゼ生産プロジェクトで、トラブルが発生した頃の話を思い出した。私はプロジェクト要員ではないので、横でトラブル解析の検討会を見ている立場であった。プロジェクト内では菌の生育を見る比濁値が下がる現象を培地に溶かしたでんぷんが溶けるからだろうとされていた。そのため他の考えられる原因について議論されていた。私が他の人に話したのかわからないが、私が言った言葉が注目された。私は「菌が溶けるファージが発生しているのではないですか」と申し上げたようだ。私の意見が採用され、調べたらその通りの現象であった。その結果、私はファージ対策班としてプロジェクト要員に加えられた。非常事態であったので、それからは大変忙しくなった。当時は妻に定期的に手紙を出していたが、少し空白の時間ができることになった。そうしたら、妻から「最近、お手紙が来ないようで、お別れの時期が来たのかな」という意味深なことが書いてある手紙が来た。なんとなく文章のニュアンスが気にはなったのだが、仕事の忙しさにかまけてしまった。正月の帰福時に「何かあったの?」と聞いてみるとご両親から医者との結婚を進められているとのことである。この話を聞いた私は意気消沈である。仕事に夢中にならなければよかったと嘆き、布団にくるまって涙を流したものである。泊りに来ていた姉がしょげている私に気が付いて、慰めてくれた。それからこれではいけないと巻き返すことを考えた。私の気持ちをわかってもらうために相手の両親に手紙を出すことにして川崎に帰った。一世一代の賭けに出て、挨拶分の起承転結に注意を払いながら長々(便箋7枚?)と書いた記憶が鮮明に思い出された。さぞかし行間には情熱がほとばしっいたであろう。両親あての手紙を見た妻が「邦彦さんと結婚したい」と話したら父親からひっぱたかれた話もあった。改めて妻への感謝の念が沸き起こった。老後も妻を大切にしなければという気持ちはいつも同じだ。姪には「どちらもゾッコンでいいのでは」ということになる。お互いがリスペクトできる存在でありたいものだ。3/29は奥様の「川崎市社会功労賞」のお祝い会が企画されている。更なる活躍を続けてほしいものだ。
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