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【明石邦彦のつぶやき】虫友の自分史が届く |
2024/1/24 |
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大学時代の虫友から寒中見舞いのはがきが届いた。先日の届いたはがきは味の素時代の仲間が12月28日に急逝したとの訃報だったので、受け取った私は一瞬ドキッとしてしまった。しかしながら、はがきには鹿児島の出水市のナベヅルの北帰行の水彩画が印刷されているので、内容が違うようだ。確認してみると趣味で始めた水彩画に絡めて自分史を発刊したので、ご笑覧くださいとある。この北帰行の水彩画は立派であるので、どなたかの指導の下に制作されたものであろう。自分史は「私の春夏秋冬」と題されて、その季節の自然を一枚一枚切り取った画集であった。見事な水彩画集である。改めて彼の多芸を感嘆する次第である。また、自分史であるので、大学時代の趣味や会社生活の写真、季節とは別に静物や街並みの写生がまとめられていた。昔からの写真を含めて、彼自身の思い出をまとめられたのだと思われる。よく見てみるとページに付箋がつけられていた。付箋の所を開いてみると私との昆虫採集が紹介されていた。大学時代に交友があった山上さん、高桑さんの名前も挙げられていた。また、京浜昆虫同好会の大御所である露木さんや養老さんの名前もあり、華麗な大学時代がつづられていた。彼とは大学2年生の時片品村の三好屋でお会いした。なかなか採集センスの高い方であった。宿の前の貯木場で大珍品のオオトラカミキリを採集されたことは鮮明に覚えている。また、九州の採集に来られた際は私の家にとまり、対馬や九重に出かけられた。そこでも珍しい虫を採られていたので、何か持っているなと感心したものである。家に泊まっていただいた際は福岡の夏の湿気の高さを嘆かれたようだが、母が魚屋から仕入れてきたサカナを寿司ネタとしておなか一杯食べていただいたことを思い出す。私が味の素に入社し、関東に来た時には山上さんたちとともに、藤沢の林の中でタテジマカミキリを採らしていただいたことも楽しい思い出である。社会人時代は仕事で忙しく、互いに顔を会わすことはなかったが、私が蛋白工学研究所の運営並びに研究成果を評価する役割を担ったときに昭和電工の人と親しくなった。その人から虫友の現在の役割と役職を伺うことになった。当時は昭和電工のトリプトファンの副生物問題が世間を騒がせていた。その問題を担当されている専務だと伺い、大変苦労されていることだろうと推察した。昭和電工の人たちと付き合うようになってからお会いしたのは妻が厚生労働大臣賞の受賞記念パーティ(川崎、日航ホテル)のように思う。パーティの最中だったので、長くはお話しできなかったが、久しぶりの邂逅で奥日光時代を懐かしく思い起こさせてくれた。
彼の自分史を読むと積極的にセカンドライフを楽しんでいる姿がある。昔の虫仲間として多様な趣味の奥深さにリスペクトするばかりである。さらに、奥様のご指導の下にピアノを習われているようだ。次回は演奏会のお誘いがあるかもしれない。小川典子さんのピアノリサイタルでも大変なのにどうしようと思っている。
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