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【明石邦彦のつぶやき】7回忌での出来事 |
2023/8/25 |
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長男の兄の7回忌が8月20日に行われるので、福岡まで朝早くから出かけることになった。法事の連絡があった当初、私は脊柱管狭窄のため電車の乗り降りで、足に影響が出ることを考え、施主に妻が私に代わって出席する旨を伝えた。しかしながら、妻からは「あなたの家でしょう。」とあっさり断られてしまった。仕方なく、福岡への日帰りで飛行機を予約した。AM8のフライトで、帰りはPM4時とした。法要は11時に始まり、食事が2時間かかるとして4時には十分に間に合うなと思った。ただ、日曜日であるので、乗客は満員であると予想された。そのため、時間がかかるとフライトの変更は難しいと思われる。その時は途中で退席することを考えた。(後で妻に確かめるとその日は宝塚の観劇とお茶会の予定が入っていたようである。妻が行かないと宣言したわけが分かった。)
福岡にはAM9:40に到着したので、確認のため、施主の姉に電話した。なぜだか電話がつながらないので、「開始は11時ですね」と留守電を入れた。飛行場から車で行くと1時間くらいは待たないといけないなと思ったので、地下鉄で行くことにした。後で気が付いたのであるが、乗り換えのための地下道の距離が長すぎ、足がしびれることになった。さらに博多駅からお寺までの距離にも負荷がかかることになった。30分ほど前にようやく到着した所、お寺も景色が一変していた。手前にあったマンションが壊され、広い駐車場ができていた。楠田神社に近く、また、事務所も多いので、駐車する車で一杯である。回り道をしながら本堂に来ると兄の娘が立っていて、案内してくれた。待合室での休息もなく、本堂に上がるようにとの話である。11時にはまだ時間があるのにと思いながらも、まずは本堂地下の納骨堂に行き、明石家と兄の廟にご挨拶することにした。
それが終わるとすぐに本堂での法要となった。40ページにわたる読経の後、住職からのお言葉をいただいた。今回は「自覚、覚他、覚行窮満」である。この言葉を調べてみると「自ら悟り、他をも悟らせることが仏教の最終目的で、これが完全(覚行窮満)な人を仏という」とある。兄が仏になって6年である。浄土で仏となる鍛錬をいまだ続けているのかと思ったりした。
住職の説法が終わるといつものように吉塚ウナギ店で会食とはいかなかった。家族から「これで7回忌は終了し、解散です。」とのことである。私にとって「そんな話は聞いていない」である。もしかしたら親族としての付き合いもこれが最後になるかもしれないので、いくつか話題を考えてきたが、それも無用となった。法要の時間(小一時間)のために日帰りするのではコストパフォーマンスの悪さは夥しい。法人の仕事では考えられないお金と時間のかかる過ごし方だと思った。
ご家族の最近の様子を伺いたい気持ちはあったが、コストのかかった私の相手をしないなら前もって言ってほしいものだ。そして、お返しにお弁当とお菓子が配られた。弁当として配られた吉塚ウナギをどこで食すればよいのかと途方に暮れた。駅や空港のベンチで食べたりする自分の姿は考えられないからだ。「法要は簡単で、会食はない」とでも言ってくれれば帰りの便を早める事や義兄のご仏前にお伺いすることもできるのにと思ったりした。また、体調が悪いことを理由に帰福しないことも考えられたのではと思った。結論として参列していた次男の兄の家でウナギ弁当を食べることにした。兄も歩くのに少し不自由しているようなので、タクシーで香椎に向かい2時間くらい話をし、乾ききったようなウナギを食べた。これでは吉塚ウナギを食べたとは言えないような弁当である。昨日作ったものを冷蔵したものかなと思いながら、苦笑した。帰りの福岡空港では羽田空港とは違い、身体チェックが厳重であった。最期はベルトまでとられてのチェックであった。まさに踏んだり蹴ったりである。私の目論見通り妻が代わりに行っていたら激おこしてどのような文句を言われるかしれないなと思う日曜日だった。兄弟も年を取っているので、その家族だけでの法要を考えるべき時期に来ているのかもしれない。私が他界した時、親族に知らせるのは「家族葬で済ませました」が一番良い方法だと確信した。
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