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【理事長 明石邦彦のつぶやき】マー姉ちゃんと福岡 |
2022/2/28 |
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長谷川町子の打ち明け話をもとにした連続TVドラマ「マー姉ちゃん」が再開してから土曜日や休みの時に不定期ながら見ていた。1979年(昭和54年)の放映であるからずいぶん昔の連続TVドラマの復活だ。なんだか福岡の話が頻繁に出てくるので、不思議に思っていた。長谷川町子が福岡に住んでいたのも再発見である。何回か見ていると思い出深い地名と終戦時の混乱が思い出された。マー姉ちゃんの住居は早良郡西新と思われたので、見知った町名が多いこ ともわかった。
参考ながら、福岡大空襲の時に博多の町が焼かれ、多くの人命が失われた。我が家も呉服町の隣の鏡町だったので、当然のことながら焼け出された。そして行き場がないので、西新の隣の城西橋にある太田家の屋敷に住まうことになった。父の勤めていた会社は多くの土地や家屋を所有していた。その一つである太田家の大きな屋敷を分割しての住まいだった。池を挟んでコの字の真ん中から仕切った形の家であった。母屋を太田清之助さん(仲人さん)の家族、片方を明石家が住むという2分割しての住居であった。そのため、屋敷の真ん中にある池を分割するように塀が作られて、お互いの家が見えないようになっていた。太田清之助さんの息子の誠一さん(元衆議院議員、元総務大臣)とは同年齢であったので、幼なじみである。
福岡大空襲の時、西の方は焼け残っていたので、西新がドラマの舞台となったようである。荒戸町、大濠公園など懐かしい場所が登場する。また、TV画面で女連れのアメリカ兵が出てくるが、終戦後のオンリーさんやpom-pomさんのアパートなどが近くに存在し、ギブ・ミーの話もあったと思う。マー姉ちゃんの画面は戦後の混乱した事情を思い起こさせることが多く、懐かしさがこみあげてくる。
何回目かの放映で、サザエさんの漫画が夕刊フクニチに連載されていた話が出てきた。そういえば我が家の新聞は朝刊が西日本新聞、夕刊はフクニチをとっていたように思う。当時の私は新聞の記事を読むことはなく、漫画を見ることが多いはずだが、どのような漫画が掲載されていたのかの記憶はない。残念ながらサザエさんの記憶もない。いずれにしてもサザエさんの初期の原画を見ていると白黒の洗練されていない画面が登場すると見たような思いもする。現在の軽妙で垢抜けした描き方とは違って、なんだかやぼったい。連載が始まるのが、昭和40年頃であるから10才位ではと思う。いずれにしてもTVで頻繁に博多弁が出てくるので、私にとっては親しみやすい番組である。
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