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【理事長 明石邦彦のつぶやき】賀状で思う先輩・後輩との関係性 |
2021/12/20 |
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師走になりいつものように年賀状を書く時期になった。最近困るのはコロナの所為で会合がなく皆様の消息がよく分からないことである。亡くなられた方にお手紙をさし上げると、子供さんから父は何月に亡くなりましたとのお返事が来ることである。特に、会社の関係者となると皆高齢の域に達している。今までは毎年味の素からOBの住所録が送られてきて、物故者の一覧で、あの方がなくなられたのかと知る手段があった。コロナになってから住所録がなくなり、唯一の手段が断たれている。特にお世話になった方が90歳以上であると気になってしまう。返信はいただかなくても会社を辞して、社会福祉法人に身を賭した自分を伝えねばと思うからである。年を取ってからの社会貢献する姿を見知っていただきたい思いがある。
味の素の社長であり、経団連副会長など大きな貢献をされた歌田さんは人物名で引けば消息が分かるのではと引いてみた。まだ、ご健在のようで96歳にもなられている。小さい頃は健康優良児(東京都が表彰?)とのことであった。現在の写真を拝見しても昔の面影(社長時代)が残っていて、一安心である。ウイキペディアの人物評の所にはバイオインダストリー協会の設立や日本バイオ産業人会議の発足、さらに発展した形として2002年に内閣府にバイオテクノロジー戦略会議(小泉純一郎議長)となり、現在のバイオ産業立国を目指した国家プロジェクトの一つになっているとの記載を見ると大変懐かしさがこみあげてくる。自分としては色々な方に日本のバイオ戦略を訴えて活動した日々が懐かしい。歌田さんが社長だった時に、九州工場に来所されてPhe(フェニールアラニン)生産の発酵から処理の工程を説明する役(担当課長)となった。一通り説明が終わると社長から「技術の素晴らしさをちりばめた工程である」とお褒めの言葉をいただいた。特に、発酵の管理技術(酸化還元電位制御)とは別にPCF(濾過器)による結晶の搔き取りなど逆転の発想で取り組んだことが思い出された。確か、半期で限界利益を15億円ほど生み出し、業績表彰もいただいたこともあった。
いつもこの時期に賀状を書くとその人との関係性が思い出されて、高揚する自分がいる。これも賀状を書く時の大切な気持ちであるとともに楽しみでもある。
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