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【理事長 明石邦彦のつぶやき】秋の花の寂しさ |
2021/11/11 |
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秋になりクレマチスの花がぽつんと一輪咲いている。春は一斉に芽吹き、そして、その先に蕾がつき、まるで同調するかのように一斉に咲きほこる。まさに豪華絢爛な状態となる。しかし、秋は新芽の芽吹きがまばらなためかぽつんと一輪が咲くことになる。春のクレマチスは芽吹きの季節でいかにもエネルギーに溢れているのを感じるのであるが、秋のぽつんとした一輪は逆に力の衰えを感じ、寂しさが増すばかりである。冬に向けての落ち葉の色付きと散り際を見るにつれ、あらためて老いを感じる。最近の私はいつも穏やかな日を過ごせるようにと考え、毎日が無事に過ぎてくれと願うことが多くなった。冬に向かうクレマチスの姿に自分の老いを重ね合わせ、残り少ない人生を考え、焦りさえも感じるこの頃である。
さて、脊柱管狭窄による足腰のしびれで道すがら休憩を取ることが多くなった。この前、私は一時立ち止まり、背腰を伸ばしていると後ろから歩いてきた奥様が「お荷物を持ちしましょうか」と声をかけられた。別に重い持ち物(スーパーでの買い物)でなかったので、丁寧にお断りした。他の人から見ても老いが目立つのであろう。脊柱管狭窄は痛みというよりは足のしびれとふくらはぎの筋肉硬直でしばしば休まなければならない。朝は問題なく歩行できるが、5000歩すぎた頃からしびれが増す傾向である。そのうち、通勤の際に送り迎えが必要となると引退も間近だという気がしている。どうしてこんなになったのかと問われれば人生の重い荷物を背負いすぎたせいであると自らは思っている。このような話をするときには酒を飲みながら語らいたいものだ。コロナでなければ色々とやるべきことがあっただろうと思うと残念なここ2年間だと思う。気がせくのも止むを得ないと思っている。休み休みの歩行であるので、道端の草花にも目がやることが多く、新しい気づきがある。道路側溝の隙間に目をやるとなんだか白いユリの花がある。今の時期に咲くとは?と思いながら、調べてみるとタカサゴユリみたいである。細い葉、白い花の花弁に見られる紫のスジが目立つユリである。本来なら大きな丈になるそうだが、石の隙間から芽を出している関係上、栄養状態も悪く、高さ20cmくらいである。しかし、花(10cm)は身の丈と合わずに大きいので、風が吹くと大きく揺らいでいる。折れなければよいと思うのは取り越し苦労であろう。人と同じようにそれぞれが精一杯に生きているのだなあと思うこの頃だ。
写真:1.タカサゴユリ 2.クレマチス
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