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【理事長 明石邦彦のつぶやき】ハートネットTVでの放映について |
2021/7/16 |
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徹之や洋子がNHKの取材に対応した放映が7月6日にあった。私は気づくのが遅く、番組途中から参加した。場面は重度心身障害児の家庭の取り組みから始まり、ヤマユリ園を出て地域生活を始めた尾野さんの一人暮らしの様子が映し出された。次の日、法人のネットで徹之の映像のみ(5分くらい)を視聴した。ようやく3回目(山口の方からのメール)で、すべての映像を見ることができた。各人の障害者の日常が切り取られた映像を見ていたので、この番組のストーリーは何なのかを理解できなかった。「地域に生きる」をどう表現したいのかなど不思議に思った。そのため、福祉の上っ面だけを理解して、5人をただただ並べただけではと思ってしまった。ヤマユリ事件から5年たち、施設に戻らずに地域での生活を選んだ尾野さんにどのような問題があり、「地域に生きる」ということの意味が問えるようなストーリーが必要ではないかと思った次第である。今回のタイトルは「生きたいと言える社会」とあるが、この表現はともに生きる社会、ノーマライゼーションを体現している言葉なのかと思ったりした。これはヤマユリ園で亡くなられた人の言葉でいうと「死にたくないのに殺された社会」をさしあたり「生きたいと言える社会」に変えてもらうために尾野さんに託された言葉かと思ったりした。しかしながら、奈良崎さんの登場場面では「ともに生きる」を強調されているように思えた。「生きたいと言える」と「ともに生きる」では意味が違う。放送にはストーリー性が必要で、見ている人にこの映像が主張したい点をしっかり認識させ、最後に私たちには「何が必要か」はたまた「何をなすべきか」を問わねばならないように思った。
私が5人を登場させるならば、登場人物の最初はヤマユリ事件の被害者である尾野さんであり、彼が施設から地域に移行してどのような課題があり、克服するには前例のある人たちの問題解決手法のやり方に焦点をあてて、彼とその仲間がこれから努力しようとする決意表明ではと思う。次の登場人物はNPO法人の人で、日中活動で障害者にかかわり、障害者が存在する意義、ほっこりする気分になれるのはかけがえのない存在だからだと主張することだ。そして、彼らは世の中で生きている資格がないとはだれも言えないことだと断言してもらうことだ。次は、重心の子を持つ親の地域での認知度アップのための行動、同級生との学びの画面だ。次は、本人たちの思いを述べてもらう世界だ。奈良崎さんの強引なまでの取り仕切る姿はこういう人がいるのも面白いと思ってもらうことだ。さらには、仕事をしっかり、余暇活動を楽しむ徹之だ。この順序で並べて、先人たちの思いと行動を参考にしながら尾野さんの支援者たちが地域の壁をどのように壊していくかを考えるようなまとめにする。そうしたら「地域移行」の着地がうまくいくのではと思うし、 次の映像素材も見込めるのではと思う。また、近隣の人たちとの折り合いがつくことや、支援する人たちの支援技量の向上などが重なり、尾野さんの明るい表情がさらに増えることを期待できそうなことや、また支援者の充実していく姿を予想できるようなジエンドにしてもらいたいものだ。いずれにしても「生きたいと言える」は個人レベルの感覚である。しかし、「ともに生きる」という社会は意思決定支援やノーマライゼーションの実現の世界であるので、それを目指すことを念頭に置いておくべきかと思った。
妻から尾野さんは徹之と同じ年齢のようだと聞くと地域で生きてきた人と輝きが違うような気がした。重度の自閉症ながら「地域に生きて」を指向してき人たちが法人のグループホームで暮らしている。近隣とのトラブルもそれなりに乗り越えてきた。その人たちは現在では落ち着いてホーム暮らしを行っている。昼間は通所し、夜はホームでは世話を受けながらも、できる限り生活スキルを獲得し、更に土日はヘルパーとお出かけしている。地域生活に慣れた人たちは明るい人生を堪能しているように思えた。やはり経験や刺激の数の多さは幸・不幸といわないまでも、人生の満足度を高めるように思える。人生の質は経験の数に比例すると考える。
最後に、尾野さんもグループホームから出発し、少しずつ地域生活に慣れたら一人暮らしに移行してゆく形式の方が落ち着いた生活を獲得できるのではというのが私の感想である。大声を出すのは「自分の意思と違う。理解してよ。ストレスだ。」という主張であるようにも感じた。
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