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【理事長 明石邦彦のつぶやき】GO TOでの帰福 |
2020/11/16 |
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昨日、姪から手紙を受け取った。胸騒ぎがしてすぐに開けてみると義理の兄の訃報である。
間質性肺炎が原因での死である。姪の手紙では苦しむことなく朝に目が覚めなかっただけとのことである。昨年の夏に兄弟が高齢であることが気になって親族周りをしたときに、義兄の病気の重さを知った。血液の酸素濃度測定や酸素吸入器が設置されていたからである。そして、この病気は難病であると知らされた。その後、「住んでいるマンションを引き払い、娘夫婦のお世話になる」との電話があった。まだまだ元気に過ごされるものとして聞き流していたが、お電話を受けてから早い逝去であった。93歳だったこともあり、てきぱきとした終活であった。家族には「誰にも知らせず、何ももらわず、家族で見送りをするように。」との話がなされていたようである。連れ合いの実の姉の様子も気になった。姉はどちらかというと義兄に頼りきりの人生だったように思うので、どうしていることかと心配である。夕方お悔やみの電話を入れたところ、姪に代わって姉が出てきて言葉を交わした。気が張っているせいか、話しぶりでは元気そうであった。以前から妻に「GO TOキャンペーンで福岡に帰ってきたら。ポイントもたまるし、安いから。」といわれていた。残念ながら義兄とのお話の機会は永久になくなってしまった。
明石家は博多商人の家系であるが、義兄は先祖が立花家のお侍という家系で、年の離れた人(17歳年上)であったので、人生の水先案内のような形で師事させていただいたつもりである。江田島兵学校で終戦を迎え、九州大学に入りなおした経歴をお持ちである。大学の後輩であることより、かわいがっていただいた。10歳頃、新婚ほやほやの所にお邪魔したりしたものである。私が管理職に昇格したときには「一番うれしい時期かもしれないが、謙虚さが必要。仕事もこれからだ。」というような言葉をいただいた。法人の理事長に就任してからも機関誌に掲載した文章やHPの記事を見ての感想をいただくことで、人生の先輩としてのありがたみを教えられた人であった。多くの人に慕われ、家族にも恵まれたのは人徳のなせる業であろう。
49日前に福岡に行ってこようと思う。姉にはわが家の歴史を聞き、また、義兄とのエピソードを話しながら姉を元気づけてやりたい。また、立花宗茂の立花山合戦の話など歴史の知識を深めていく機会にしたい。早速、妻に頼んで飛行機をとってもらった。手帳にはその日の予定として味の素発酵OB会に出席と記載されていた。コロナで中止でよかった。金曜日からの1泊だとゆっくりと親戚周りもできそうだ。
写真:1.立花宗茂 2.立花山(右側)
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