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【理事長 明石邦彦のつぶやき】コロナ禍と裁判 |
2020/3/24 |
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IOCのバッハ会長がオリンピックの延期を考え始め出した。選手や各国の委員から開催に対する異議が続出するからである。選手から不参加や公平性に欠けるなどの注文が出たことで、無視できなくなったと思われる。全世界に広がったコロナ禍でオリンピックは7月開催への赤信号がともったことになる。数週間後には結論が出されそうである。私はオリンピックが延期、中止は当然の事であり、コロナ騒動が数カ月で簡単には収束すると思えないからである。日本では感染者数を小さく見せるためにPCR検査の数を抑えているが、オリンピックへの影響を少なく見せるための誤った考え方のもとに動いていると思われる節がある。感染者すべてを隔離すると医療崩壊の危機だというが、重篤者に絞った入院加療が行われ、軽度な人は自宅静養か、簡便な隔離の方法がとられればよいと考える。また、感染研が疫学的な研究のためにPCR検査の拡大を抑えているのなら、いずれ市中感染が爆発的に起こり、オリンピック開催など吹き飛んでしまうことだろう。PCR検査が増えない施策が続くことは「免疫力が低い老人には死んでもらおう」とでも思っているのかと言いたい。韓国などと同じようにまずは感染者の数を明確にし、陽性反応者を隔離する手法(自宅静養を含む)をとらなければ、元気な陽性患者が巷を闊歩し、新たな感染者を生み出すと思われる。オリンピックは2年後の開催までも危ぶまれることになるだろう。その間に薬やワクチン開発などを進め、発症者が出たとしてもすぐに抑え込める仕組みが出来上がらないと、危うくて、世界の人は日本に近づかないだろう。すでにマラソンなど選ばれた選手には気の毒だが、2年後くらいに再チャレンジしていただこう。何よりも人の命が重視されなければならない。
人の命と言えば、ヤマユリ事件の判決がでた。案の定「死刑」である。しかし、私たちには「どうして」という疑問が残ったままである。「意志の通じない者に存在価値はない」との被告の自説は今回の裁判では答えが出なかった。自説が正しいということに自分の存在価値を見出しているがための彼なりの固執であろう。人は育って来た環境が違えば違ったことに価値を見出すだろう。人生の挫折の中で、目の前にいる弱者より優れているという意識がゆがんだ価値観を形成したのであろうか。獄中に限らず、人は一人でいると次第に自分が正しいと考え、人の命・存在を軽視し、あえて自説に合わせようとすることだろう。内面の心の変化は本人にはわかっている筈である。自分はこのように主張して自己の存在意義を見出だそうとしていると。
写真:➀開催 延期? ②やまゆり裁判
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