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春風が土埃を巻き上げている3月の下旬、横浜地裁は二つの判決を下した。
この二つの裁判は、「差別」という源流でつながっている。
18日、横浜地裁(河村浩裁判官)は、地元の小学校に就学したいと言う原告の請求を棄却した。川崎市教育委員会は「専門的な教育が適切」として、県の特別支援学校に就学するよう通知し、河村裁判長は、障害の有無に関わらず一緒に学ぶ「インクルーシブ教育」は、特別支援学校の教育を排除するものではないと、これを適法した。16日の「津久井やまゆり園殺傷事件」裁判が、私たちの心の奥底までおりて、初めてみえる。それぞれの「差別」であるならば、前者の判決は、「専門的」「適切」というありふれた言葉に本性を隠している、見え透いた、それだからこそ厄介な「差別」と言える。「教育」は誰のためにあるのか?「教育委員会」の為でなく「教育をうけようとする人」にあることは、自明なことなのに、その当事者に選択権(基本的な人権)がないことは。差別以外のなにものでもない。これは「専門性」「適切」という用語で飾り付けた、暴力の行使である。
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