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【理事長 明石邦彦のつぶやき】中村哲さんの訃報 |
2019/12/20 |
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ペシャワール会の中村哲医師が銃撃され、アフガニスタンの地で亡くなられた。事件があった日の夕方のヤフーニュースでは命には別条ないとのことで、「よかったな」と思っていたが、夜のニュースで亡くなられたことを知り、愕然とした。彼は福岡高校、九大医学部の卒業であり、高校の1年後輩になる。医学部入学を考えると偏差値の高い人だったのだろう。
アフガニスタンで医師として活動する傍ら、灌漑事業にも取り組まれていた経歴は以前より存じ上げていたので、ペシャワール会の活動には注目していた。私はペシャワール会を国境なき医師団の1グループと勘違いしていたので、国境なき医師団がノーベル賞を受けたときには、中村さんにも名誉なことであると思ったのだが、あとで別の団体と知った。
それでも、後輩の一人がアフガニスタンの復興に尽力にされている姿、また、その言動には尊敬の念を覚えていた。最初のニュースでは存命と聞いていたので、大きな安堵を覚えたものであるが、残念な結果である。志半ばで倒れられたことには哀悼の念を覚えた。
中村医師がアフガニスタンの大干ばつを間近に見て、医師での取り組みとは別に、命のための水が必要と考え、1600個の井戸を掘り、そして次には灌漑事業に取り組み、人々のために水を確保しようとされたことはスケールの大きな話である。その結果、1万6500ヘクタールの土地に水が流れ、65万人(以前は200万人の雇用と聞いたが、数え方のちがいであろうからまあいいか。)の命が保たれたと聞いている。自ら掘削機を動かしての活動であったようだ。
この活動の中で同僚の伊藤さんが誘拐され、命を奪われた事件があったが、中村医師は「暴力では何も解決しない」と灌漑事業を推し進めたとのことである。
まだ、中村医師を誰が殺害したかははっきりしないが、ペシャワール会の遺志を継いだ人があらわれ、平和な社会を建設してもらいたいものだ。中村医師のように世界に貢献している人を失うことはあまりにも寂しい。
なお、福高の創立100周年では大隅先生がノーベル賞受賞で講演されたが、1年後の記念講演会では中村医師、サグラダ・ファミリアの主任彫刻家の外尾悦郎氏、映像ディレクターの江口カン氏が講演されたそうだ。中村医師は「苦境を乗り越える秘訣は」という質問に対して、「病状が良くなり、患者が帰っていく瞬間が魅力的で、現地に残らざるを得なかった。苦境から逃げ足が遅くてもよい」と答えられたそうだ。 今回の事件では意味深な言葉に響いた。
⓵ 通水
⓶ パワーショベルを駆使
⓷ 現地の人と中村哲医師
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