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【理事長 明石邦彦のつぶやき】ベンチャー企業の行く末と私のこれから |
2019/12/16 |
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昆虫採集用の酢酸エチルがなくなったので、なにがしかの量をいただこうと投資していたベンチャー企業に頼もうとその会社のホームページを見てみたら、2018年にとある化学会社に吸収された旨が書かれていた。
その会社から薬品を手に入れるのをあきらめ、四苦八苦して昆虫標本や雑誌を販売している六本脚を探し当てた。大変な苦労である。
今年、ベンチャーを運営していた先生に義母の喪中の葉書をだし、薬品を手に入れるのに苦労したと添え書きした。
すると、すぐに返信のメールをいただいた。「薬品は研究所や大学で用意できるので、欲しい分量を申し出るように」とのことであった。私は2年間使える分量として「500mlを用意してほしい」と返信した。話がまとまり、首都大学南大沢キャンパスでの待ち受けとなった。駅でお会いし、近くのヨーカ堂でお茶を飲みながら化学会社に吸収された経緯をお聞きした。
まず、ベンチャー企業は2004年に設立された。ちょうど産学連携が叫ばれた時期であり、私は経団連の産学連携に携わっていたので、ベンチャー会社を作るという企画に乗って会社設立に出資協力した。その企業のビジネス内容は、⓵たんぱく質の構造解析のための安定同位体標識アミノ酸(SAILアミノ酸)の製造・販売⓶SAILアミノ酸からなる、たんぱく質の合成受託⓷NMR解析受託である。
設立後、運営委員会が1年に1回催され、運営状況などを議論したが、法人の仕事もあるので、次第に疎遠となった。それから14年後、他社への吸収である。最初の頃、ベンチャー内は活気があり、研究者も14人程度であったが、吸収される前は4人しかいなかったようである。
さて、失敗の原因はどこにあるだろうと考えてみた。
最初は目玉の標識アミノ酸が珍しくもあり、学術研究のために、理研をはじめとして創薬を意識したたんぱく質の構造研究に使われたのであるが、汎用的に使われるとコスト改善を求められることになる。コスト改善に対応できないために、使用者からの注文は次第に減っていった。そのため、標識アミノ酸を使った新しい知見が学術誌に掲載されにくくなると、販売量も減少していったとのことである。
また、文科省からいただく研究資金も経年とともに額が少なくなり、資金を借りながら運営していくという自転車操業であったようだ。関連した新研究分野が広がるなりしないと、学術資金を手当てすることは難しくなる。況や基礎研究を重視しない政権のもとでは研究資金は減額の一方であったと拝察される。
今、文科省が山中研究室(iPS細胞の研究)への研究資金10億円の打ち切りを打診したとか騒がれている状況である。研究成果がはかばかしくなければ打ち切るという短期指向で物事を見ているので、基礎研究の充実などは無理なことである。このように研究資金を手当てできなくなると経営はまわらなくなる。まさに、ベンチャーがつぶれるときの典型であると考えた。
職員がどうなったかをお聞きすると何人かは、吸収先の化学会社に引き取られたようであるので、まずはよかったなと思う。
お土産に頂いた酢酸エチルとお庭になっていた柿を頂戴して帰路に就いた。なんだか、高いお土産だなと思いながらもベンチャー企業の生き残りの難しさを実感した。それにしても、打つ手がなかったのかな、利益が出ているうちに高く売りつける手があったのではと思った。次の展開を構築できない企業は消え去るのみかと想いをあらたにした次第である。
それにしてもあおぞら共生会はそれなりに発展してよかったなという思いであった。先生からも経営センスがあるといわれたが、事業の厳しさが違うのではないかと思った。
さて、私の次の仕事は後継者のために新たな道筋を作るとともに、高邁な精神を引き継いで発展させる人を育成しなければという思いが湧きおこるこの頃である。
⓵重さで比較するとこうなる!
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