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【理事長 明石邦彦のつぶやき】 50年前の大菩薩行 |
2019/1/18 |
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友人から「大菩薩に行った写真があるので、メールで送りましょうか」という賀状が舞い込んだ。早速、送っていただくようにお願いした。彼はアルバムの中の写真をスマホに写し、すぐに送ってくれた。駐車場のフェンスに寄りかかっての二人の写真である。その他に私が写したのであろう、タタキ網で虫を採集している姿と建て替え前の長兵衛山荘の分岐点に立つ彼の姿があった。長兵衛山荘は山裾を削ったので、後ろが崖になっている。現在は建て替えられて、ロッジ長兵衛となり、収容人数も増えた。また、バスの終着駅ということもあり、登山客で大賑わいである。
私が25歳だから彼は2-3歳年下であったろう。50年前くらいの写真である。お互いに若い姿だ。当時だと私の体重は55kgである。今は+15だ。また、髪はふさふさだ。6月17日の味の素㈱の創立記念日の休みを利用しての山行きである。山荘付近はズミの花が満開で、ニセハムシハナカミキリやカンボウホソトラカミキリがたくさん採れたように思う。山も緑が深く、カラマツの植林も少なかったからだ。まだまだ登山客は多くはなかったので、登山道の整備はなされておらず、石がゴロゴロであった。写真では建物の右側に大菩薩峠への登山道がある。今はコンクリートの舗装になっていることがわかる。
さて、彼との付き合いで思い出深いのはバイオプロセス研究所での再会である。彼は発酵現場を出て、隣の印刷工場で働いていた。ふらりと訪ねてきて「隣の工場が閉鎖するので、研究所で働けないか」という相談だった。篤実な性格とわかっていたので、分析とか現場でも十分働けると思い、周りと相談して迎え入れた。若い学卒社員とも齟齬もなく、定年まで働いていただいた。たまたま私が研究所のトップにいたから実現した話である。縁とはまさに不思議なものである。
1昨年の発酵OB会で久しぶりにお会いした時、昔の大菩薩行の話が出て、二人で出かけた事実を知った。当時の山の様子が頭の中に浮かび上がってくるが、何故か自分一人での行動しか覚えていない。よほど虫捕りに集中していたのであろう。そういえば、ニセハムシハナカミキリを100匹以上採集した記憶は鮮明である。彼とのメール交換で「お互いにこんな若い時代があったんだね。」と確認した。とてもエネルギシュな時代であった。仕事に遊びに真剣に戦っていたように思う。いま、法人職員と1時間程度かけて面談を実施している。若い発想を大事にしながらエネルギシュな10年を形作りたいものだ。
貴重なスナップ写真をお送りいただいたので、早速、ブルチェロの焼き菓子を送っておこう。
写真:①駐車場のフェンスに寄りかかっての貴重な写真(左側が私) ②昔の長兵衛山荘前で(後ろが登山道) ③現ロッジ長兵衛(右端が登山道で舗装)
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