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【理事長 明石邦彦のつぶやき】行方不明児童の発見:子供は上る習性があるのか? |
2018/8/28 |
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山口の周防大島で行方不明になっていた2歳の男の子がボランティアの男性に3日ぶりに発見された。発見したご老人のボランティア精神に敬意を表すとともに、子供を捜す視点で述べられていた言葉に注目が集まった。「子供は上に上がると思った」という言葉である。このご老人は最近も行方不明の女の子を発見した過去をお持ちである。何か理屈があるのではと同僚たちと話題になった。一人はエネルギーの観点から、また、違う人は下ることへの恐怖心からという話が出たので、今回の件を少しく考えてみたい。
まず、2歳の子供の目からどのように回りが見えるかを考えることから始めよう。
①頻繁には訪れていない祖父の家である。子供にとってはよく知った地域ではない。つまり土地勘がない所である。子供はこの場所の地理的状況を把握しているとは思えない。
②常に大人が一緒で先導する立場であるので、子供は周りを観察するという意識はなかったことだろう。大人と一緒だから安心し、お任せの状況である。
③子供は家までの距離感や時間経過の感覚は備えていないだろうから、誤った道を選択したら間違ったと引き返すことができないだろう。
こんなことを考えながら同僚から出された問題を紐解き、自分自身で論拠を作ってみた。
仮説:
1.下りと上りのエネルギー消費の視点から
同僚は上りの方がエネルギーを使わないのではということが論拠になっていたが、山登りの経験から言うとエネルギー的には真逆ではないかと思う。
上り:上りで呼吸がゼイゼイいうことを考えると無酸素呼吸の状態になり、グリコーゲンが消費され、むしろエネルギーを必要とする状態である。グルコースの消費なら乳酸が筋肉に溜まるはず。この状況ではエネルギーが効率よく獲得しにくい状態である。つまり、上りには大量のエネルギーが必要である。
下り:有酸素呼吸の状態であり、脂質やグルコースが消費され、効率よくATPを発生し、エネルギーを得やすい系となる。
そう考えると子供は大量にエネルギーを消費する上りよりは、楽にエネルギーを得やすい下りを選択するのではないかと考える。
2.下りは転がり落ちるという恐怖心があるので、上りを選択するのでは?
老人になった私でも、登山の急傾斜を下る際には一種の恐怖心が芽生えてくる。なんだか奈落の底に引きずり込まれるのではというイメージである。下りの場合は空が見えたり、崖が見えたりして、転落すると大怪我するイメージが湧き上がる。そうするとより恐怖心が高まる。しかし、上りの場合、子供は背丈として1m以下と思うので、常に見えるのは地面であり、周りを観察する余裕がない、視界の狭い世界である。上ること以外に余計なことを考える余地はないようである。また、下りは老人も子供も膝関節に衝撃・負担が大きいので、本能的には嫌いとなる。特に子供は膝関節がしっかりしていないであろうから転がり落ちるという恐怖心は持っていることだろう。
このことを考えると道を間違えた場合、上に行く可能性は高いように思われる。
3.子供には祖父の家に帰るという目的意識がある
子供は祖父たちと別れて家に帰るということを主張したので、もときた道を引き返す意識は強かったのではと推測する。海に行くことが目的であったから祖父の家に戻るためには上りとなる。さて、2歳児は周囲を観察する意識は薄いように思われる。だから、地面ばかりを見ることになり、同じ景色であるので、道を間違えても気が付かない。子供には視野の狭さとともに記憶の限界があると考える方がリーズナブルである。土地勘がないので、一人で帰る危険は非常に大きいと考えるべきである。祖父が曲がり角迄見ていてもその後の危険はあると考える。一旦帰るべき道を間違えると距離感や時間の感覚が弱い年代ではいつまでも歩いても家に到着しないなと思いながら上に上にと上がっていったと考える。勿論引き返すという手立てがあるが、そこまでは理解できない年代と考えた方が正解ではないだろうか。
上述のように考えると目的意識が存在する場合は祖父の家が下りの場合でも道を間違えるとずんずんと下っていくことだろう。
以上頭の中で考えた推論であるが、3番目が正しいのではないかと考える。
行方不明になった場所と目的意識(祖父の家に帰る)を考慮に入れながら、間違った道を歩いたと仮定し、捜すことが肝要と考える。当然のことながら警察官などを含めた人たちが生死にかかわる危険な所を早急にチェックするという姿勢は大事である。甘いとも思われるかもしれないが、不明となってからの68時間に及ぶ捜索は危険個所にいないから生存の可能性を示した捜査であったと考えないと捜査に加わった人が「お馬鹿さん」の評価となる。先ずは無事に見つかったことと喜びたいし、ボランティアで探しに来られたご老人の方の洞察力(上りの道を間違って上って行った。また、右側はフェンスになっており、子供は左側の開けた沢にいるではないかという推察)と社会にお役に立ちたいという数々の社会貢献は称賛に値する。
この方が夢として語られた百歳での祖母山登頂の成功を祈念したいものだ。
写真:①捜索 ②ご老人(尾畠さん)
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