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【理事長 明石邦彦のつぶやき】少数派の意見の価値とは! |
2018/8/16 |
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自民党の議員がLGBT*に対する意見を公表し、物議を醸している。マイノリティに対する意見だが、人権に対しての考え方の足りなさが原因なのかなと思う。ブログが炎上したということはその人の見方が他人から見ればおかしさのある内容なのだろう。このようなことが与党で頻度高く勃発するということは何の反省もない内閣の時代だからのことだろう。逆に、生産性が低い(子供がいない)ということは首相夫妻にも及ぶ話であり、子供のいない家庭には真に酷な言い方である。上に立つ者の徳性のなさが目立つ世の中である。
さて、前述の人たちの存在は約13%と言われており、私たちの周りには必ず存在するということを改めて自覚しなければならない。このような方たちで公表している人は少ない。世間の見る目が厳しいことを知っているからである。しかしながら、虐げられた?人たちは世の中の差別や見下しに対しての感度は高いものがある。例え、少数であっても、意見を発信することが世の中の人たちに対する箴言となり、人が生きているということ自体に価値があることを改めて思い出させることになる。そうでなければ個性ある人たちを許容する共生社会の実現はむつかしい。障害者運動の流れもそうなのだが、ヤマユリ事件で大きな岐路に立った。ことは優生思想による障害者の切り捨てである。障害者だって、かなりの数が世の中に存在しているのに、生産性が低いだけでは救われない。人は存在するだけでそれなりの価値がある。昨年、ヤマユリ事件から1年経過したので、事件について考える座談会を開催した。別にLGBTではないと思うが、差別や人権に対して感性が鋭いなと思う人がいた。その人の過去はよくわからないが、人生でそれなりの辛酸をなめてきたのだろう。その人の発言は実に心に響くものがあった。やはり、少数派の意見は貴重なもので、法人を運営している者(多数派)にとっては傾聴すべきことである。新たな自己革新にもつながるし、自浄作用にも繋がるものである。
以下、その人の発言の中で3つほどを抜粋してみた。
①ヤマユリ事件について
TVニュースを見ながらやっぱり起きたかという印象を持ちました。何故かというと私は色々な法人でアルバイトした経験があります。その時の職員の中には植松容疑者のような考え方の人を何人か見受けたからです。言ってみれば虐待をしている人もいました。今では障害者虐待防止法が施行され、多くの施設で虐待防止の研修が行われています。しかし、潜在的に優生思想を持って行動してきた人もいますので、このような事件が起きる可能性を否定できなかったのです。
②優生思想について
人は必ず優生思想を持っていると思います。人は少なからずその中に存在意義や価値を見出していると思うのです。そのような価値観を形成している人は自己を保とうとするのが自然でしょう。優生思想を持たない人は嘘つきか、偽善者であると思います。優生思想による差別例を挙げると黒人差別、ヘイトスピーチ、民族差別、病気に対する偏見、セクシャルマイノリティ、LD/ADHDに対する就職差別などいくつも挙げられるのではないでしょうか。このような人たちにも優しい世の中になってほしいものですね。
③匿名について
家族は潜在的に妥協させられているのではないでしょうか。昔は古民家などに座敷牢があり、障害者が閉じ込められていた歴史がありますね。芸能人でも隠している方はいます。しかし、アメリカはオープンだと聞いています。日本では昔から障害を恥と思う文化が根付いているからだと思います。だから、マイノリティーには否定的ですよね。
いずれにしても座談会メンバーの中では際立った意見であった。マイノリティーの人たちの数とは比較したことはないが、障害者の数もそれなり数だと思う。その人たちの意見も取り入れた社会の実現が望ましいと考える。私たちが学んだ教育では少数の意見を聞き、尊重するのが民主主義だと教えられた。だが、今の政治の世界ではどこに行ってしまったのかである。国会では議論をかみ合わせず、論点ずらしが常態化し、口先だけの責任論では共生社会の到来には程遠い。決して大半の国民のためにはならないように思う。
*LGBT Lesbian Gay Bisexual Transgender
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