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【理事長 明石邦彦のつぶやき】びわ湖の思い出(続編) |
2017/12/14 |
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Part 2.20年前:蛋白工学研究所の年次総会(夏・冬)にて
本社の研究企画部にいたころ前任者の引継ぎとして大阪にある蛋白工学研究所(PERI)の年次総会に出席しました。研究所は千里ニュータウンにあり、斬新で、素晴らしい箱物(大林組が建設)が立っていました。経産省の肝いりで、医薬関係を含めて大企業の8社くらいが出資しての研究機関(ナショナルプロジェクト)です。ただ、経産省の肝いりということもあり、夏季セミナーが大津プリンスホテルで行われます。とても豪華なホテルで本省からもお役人が来られて、研究所の成果を論議する会となります。ど派手にお金を使うし、親睦と称した派手なゴルフコンペも行われます。研究的にはなかなか成果は出ないのにと内心で思いながらも、役割上参加せざるを得ませんでした。8社の中に昭和電工の会社も参加されていました。昭和電工はそのころ*トリプトファン問題が勃発していましたので、担当の塗師さんはお気の毒でした。昭和電工はPERIへの参加を閉ざすところでありましたので、担当者のモラルダウンも激しいものがあったでしょう。いずれ当社もPERIから手を引きますが、年2回大阪や大津に出かけるのは楽しいものでした。研究テーマの評価はあまり気乗りがしませんが、早目に出かけて名所旧跡を巡る楽しさは何とも言えないものでした。昭和電工の塗師さんの上司でトリプトファン事件の解決にあたられたのが、大学時代の虫友達の井本さん(慶応大学卒)だったとは神のみぞ知るです。洋子の厚生労働大臣賞の受賞パーティを川崎日航ホテルで開催したときに来てくれて、40年ぶりの再会でした。まさか、あの問題の処理が彼だったとは。不思議な縁を感じました。名刺交換をしたら専務という肩書でした。あの苦難を乗り越えられての栄達だなと考察しました。
*トリプトファン事件:昭和電工が製造したトリプトファンのサプリメントとの中に不純物が含まれ、健康被害を起こした。38人の死者が出、賠償請求額は2000億円相当となった。どのくらいの補償額で手を打たれたかは定かではない。
写真:(参考)現在、大津プリンスホテルはびわ湖プリンスホテルとして営業しています。毎年アメニティフォーラムがこの場所で開催され、明石洋子と徹之はゲストとしてかなりの年月参加していました。15年ほど前のことです。そこで浅野さんや北岡さんなどとご一緒し、明石親子は全国の福祉関係者、厚労省関係者にも知られることになりました。これも今回の受賞の伏線と感じています。
最後に、ホテルの上から見た紅葉の美しさを経時的に写しましたので、ご鑑賞ください。
このようなひと時を与えてくれた妻と息子に感謝です。
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