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【理事長 明石邦彦】 兄の葬儀にて |
2017/9/13 |
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長く病気療養中の兄がなくなり、8月26,27日と帰福した。通夜・告別式で太田家の長男の誠一さんと次男の輝幸さんにお会いした。城西橋でお別れして以来であるので、60年にもなるのではと考える。私が5年生の時に香椎小学校に転校するまでお二人とは遊び仲間である。遊びは家の隣にある畑が中心であったように思う。畑に落とし穴などを掘り、落としたり、落とされたり、また、遊びで奮闘中に犬の糞が腕にくっつき大慌てで洗い流したりして、仲良く遊びまくったことが思い出される。特に、誠一さんは同学年であったので、懐かしい。また、誠一さんの選挙の時には佐賀(味の素㈱九州工場勤務)に住んでいたこともあり、旧友に声をかけたりもして、応援した。当選となった時には誠一さん本人からお礼の電話があったことも思い出された。兄は会社命令であると思うが、地域にあいさつ回りにも出かけたようである。福中・福高100周年の2次会で和田阜さんから兄と一緒にあいさつ回りをされた由、意外なところで人間関係があるということも知った。
我が家は太田家とは縁が深い。太田家の会社に父と兄が務めたことが一番である。しかし、私との関係は誠一さんのお父様の清之助様が福中・福高、九大農学部の先輩であるので、父とともに仲人をお願いしたことである。ただ、結婚式の仲人挨拶でグルタミン酸の生産菌の話をされたときに酵母が作るといわれたので、「違います。Brevibacteriumです。」と言いたいのを我慢したことも鮮やかに思い出された。47年も前の話である。
いずれにしてもお二人には通夜・告別式と最後まで列席していただき、感謝・感謝である。誠一さんから「今日は有名な奥さんは来ていないのか」と尋ねられ、苦笑した。9月初めに機関紙を出したから私たちの活動をお読みいただいたことだろう。
さてさて、次は49日の法要である。兄が残した膨大なカミキリムシの収集はどうするのか聞いてみよう。
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