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【理事長 明石邦彦】 訃報 |
2017/8/16 |
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法人設立時に評議員として大変お世話になった方の訃報が届いた。それも、近所の酒屋さんから偶然聞いた話だ。その日の夕方、ビールがなくなったので、注文した。6時くらいに配達してくれた。その時、「お祭りの後に葬儀が続く」との話があった。何の気なしに「だれか亡くなられた」のかを聞いたところ「Nさんです」との返事であった。もしかしたらと思い「Nさん宅のおばあさんか」と聞いたが、明確な返事はなかった。さて本人かどうかの確かめが必要だなと思い、下にある掲示板を見に行った。最初は気が付かなかったが、再度確かめに行くと掲示板にその旨の表示があった。訃報は黒枠の紙で掲示する例が多いのであるが、枠がないので見逃してしまった。そして、お通夜や告別式の日程を確認したところ、本日がお通夜で6-7時と記されている。お通夜の時刻はとうに過ぎていたので、明日の告別式に参加することで準備をした。夏の黒服など最近使ったこともないので、カビしていたら大変だ。告別式は12時からで、暑い盛りである。早めに出かけたので、涼しい席で、助かった。献花も大変多く、名士だけのことがあると感心した。国会議員・県会議員・市会議員も列席されていた。
おばさんは初期の理事会・評議員会が開催されるときはいつもお菓子の差し入れがあり、感謝していた。民生員も務められ、「地域で共に生きる」を旗頭にしている私たちにとってはよき理解者の一人であった。息子さん・娘さんも町内の活動に積極的に参加され、徹之が出演したテレビにも登場していただいたご家族である。障害者が隣に住んでも当たり前を実践してくれる理解者の方々なので、今後も絆を強めていくことになるだろう。出演してくれた小学生のお孫さんもお席に並んでいらっしゃったが、もう20年近くになったので、どちらにお座りかはわからなかった。
いずれにしても徹之が町中に住んでも奇異な目で見られることもなく、普通に生活ができるのはこのように地域で支えてくれる人たちがいるからである。感謝、感謝。これからもおばあさんに見守っていただくために帰宅後に行う、塩の儀礼をすることなく、感謝の心を伝えることにした。違う世界に行かれてもいつまでも支えてくださいねと。
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