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あおぞらブログ


【明石邦彦のつぶやき】貧乏レンコンが一本5000円で売れる理由 2026/11/5
 養老先生の対談の続きにこの題名の通りのことを成し遂げた野口憲一さんが登場した。レンコン1本が5000円とは驚きだ。どのような思考法で大きな価値を付けたのだろう。
私は農学部出身で、有機肥料のエスサン肥料(味の素が製造)を使っていただいていた鈴木さんとも付き合いがあったので、有機農法には特段の思い入れがある。八百屋あおぞらでは有機農法の野菜などを中心に販売しているので、今度はとっつきやすい題材であると思われた。考える力が必要な演繹法や帰納法などと違い、頭を使わない話題と思う。
 野口さんは自分が民俗学者であることを強調されており、一般の農学博士を名乗る研究者ではないようである。民俗学者と名乗られる所以で社会学の博士号をとられた方であった。自己紹介として霞ケ浦のレンコン農家で、代々貧乏を引き継いできたと語られた。
私は野口さんがどのような考え方で、レンコンに新しい付加価値をつけて5000円もする商品を作り上げ、レンコンだけで1億円以上を売り上げられたかについて大変興味があった。
さて、養老先生との対談はネクイハムシの話題で始まった。養老先生は水中で生活するキイロネクハムシを探している(絶滅したのかを調査)ことと野口さんはレンコン栽培での害虫としてのネクイハムシの話で、お互いが打ち解ける契機となった。
 まず野口さんは霞ケ浦の一番貧乏な農家の生い立ちから業(ごう)すなわちカルマを意識して農園の経営に携わったと話された。カルマなんて農園主が話す言葉ではないなと感じる。さすが民俗学者を自称するだけの人だなと思った。柳田國男から始まった民俗学が自分の業(ごう)を断ち切れるのではないかと思って学んだそうである。変わった?(秀でた?)人は変わったことを言うものだ。そして、「作られた伝統」というものは「一般的に政治的な理由で近代以降に意図的に作られたもの」と捉えるそうだ。このことは代々続いてきたレンコン農家のソフトを伝統という言葉に作り変えて、新たな付加価値を持たせようという意図があるようだ。「へーそうなんですか」という気持ちで、この人の説くところをお伺いしよう。彼は野口農園の創業を考えると天保の創業と謳いたい意図があったが、それでは眉唾だと言われそうなので、エビデンスのある大正15年と決めたそうだ。そして、父親が惚れ込んで育成したレンコンに特化して栽培し、このレンコンを大々的に売り出したとのことである。
 そして、「農家のソフト」を価値化し、民俗学を学びながらその言葉を理論化したとのことである。なお、民俗学の特徴は研究者が研究対象に当事者性を持つことにあり、自己内省的な学問でもあるという。当事者性とはどこかで聞いたことのある言葉である。私の法人の理念として「当事者性の尊重」があるので、法人の当事者は障害者自身を意味する言葉である。そうすると野口さんの言う当事者はレンコン自身を人になぞらえての表現となる。後に、野口さんの家に代々伝わるレンコンを選抜・育成したレンコンを「かわいい」と表現することから、この人の思い入れ(当事者性の使用)を窺い知ることが出来た。
 なんでも農家の価値に目覚めたのは植物工場を見学した時とある。植物工場の人との会話の中で、従事する人たちが「自分たちは農家のソフトを持っている。このソフトこそが自分たち農家の技術の核心部である」と言われて、ハットさせられたとのこと。農家のソフトとは身体性に関わる経験や価値の事で、言葉では簡単に説明できない暗黙知のことである。そして、自分の体には経験等が染み込んでいることに気が付いたとのことである。
 さて、自分の家が持っているレンコンは生存競争に負けやすい(改良していくと、野生種に比べて成長が遅くなる)ので、良い性質を持つもの(旨い、甘みが強くて、食感が良い)を純粋に継代培養して、肩を持つレンコン(野口さんが人間の肩という表現でレンコンの当事者性を表現した)として、他の品種と差別化したものである。野口さんは民俗学の表現を駆使し、自分たち(野口農園)で行っていることを言語化する努力を行った。そのようにしていくとそれまで見えなかった価値が見えるようになったとのことだ。すなわち、主観的な経験が妥当性を持ち、普遍的な理解へと変換(暗黙知を形式知化)されることになった。自分が学んだ民俗学は要素還元主義(複雑なものを単純な要素に分解して理解しようとする考え方)ではなくて、要素を分析するよりは全体を感じて「もの」や「こと」を解釈する方法となったとのこと。民俗学者からこのように説明されると読者にとってはレンコン1本がえらく理屈っぽく聞こえてくる。なんだか「あ-りがたや!ありがたや」の響きで、一種の宗教性を帯びた野口さんの信念である。そして、言えることは、「商品は使用価値で決まるものではない。社会的な意味や位置づけで成立する価値(記号価値)があるということだ。正月料理の中のレンコンはそのような位置づけとある(正月の時のおせち料理には特別の価値があるということ)。野口さんのレンコンに対する思い入れを理解してくれた人が銀座一流のシェフさんだったとのこと。正月料理に使うレンコンとは別に、自分のレンコンの真の価値を理解・承認してくれたことにより特別な価値があるレンコンとして認められ、販路が拡大したそうである。いわゆるワインの王様として知られるロマネ・コンティのような存在だと考える。
 だが、農業には作られた作物の貴重な価値が一括として扱われるというシステムの問題があると指摘している。流通における作物の規格(例:曲がったキュウリは売れない)や農協の共同販売などでは農家が努力して生み出した価値を消している。これでは「農家のソフト」が発揮されていない。問題例として有機農法があるとした。「おいしい」、「味が濃い」等の折角の価値が消されている。適切な価格設定が出来れば有機農法の農家は増えるはずだという。農協のようなシステムが一度構築されると壊れないと嘆かれている。また、農業の最大の問題は公害の発生源とされている。例えば、虫食い等を避けるための規格があるとその作物は価格が下がり、売れないので、農家は農薬を使うことになる。虫が食べるほどおいしい野菜であるとは消費者が理解してくれない。また、システムが一度出来上がると人は努力しなくなり、それが常識になると皆が怠けようとする仕組みとなる。味などの付加価値を上げる努力を農家がしなくなるということ。そして、日本人は「誰かが決めてほしい」と思う気持ちがある。これもまた問題。「農家のソフト」という価値を市場に認めさせる努力が必要なのだが、規格あればそれに沿った作り方で市場に提供しようとする姿を嘆かれている。とっつきやすい話だと思ったが、読むのには骨が折れた。
 しかしながら、本を読み進むにつれて、野口さんの思考の深さは民俗学を使っての伝統の言語化である。なるほど新しい価値を理解させるにはそれなりの意思で動く必要性を感じた。それにはレンコンオタクになることが重要じゃないかと考える。レンコンの当事者性という言葉は造詣の深さを感じる言葉だ。また、「誰かが決めてほしい」という考え方は人間を努力しない方向に進めるものだと理解する。
 さてさて、「誰かに決めてほしい」という考え方は福祉の世界で見られる先送りの態度であり、また障害者支援のマンネリ化を招く体質を生む根源だ。これを克服しない限り、その人が抱いている「希望」や「夢」が先細りになる未来を示している。

画像1.キイロネクイハムシ 2.野口農園のレンコン


 



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