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【明石邦彦のつぶやき】強い組織と弱い組織の違い |
2026/9/29 |
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最近、自分ながら読書熱が盛んだと思っている。特に、最近では組織論を考えるための本の購入が増えたように思う。自分の読書熱を背景にして、私は法人職員のために本を購入するための寄付を少なからず行っているので、法人に役立つ本と思えば積極的に購入してほしいものだ。
さてさて、昔は中国の歴史に学ぶところが多かったので、中国の国の攻防の歴史書を読むことが多かった。中でも、孫武、孫臏の書いた「孫氏の兵法」は基本からその応用まで本を読み耽ったものである。作者が違うとその人なりに視点が違うので、面白く、ついつい本を購入してしまうことになる。また、その人なりの視点の違いに触れ、自らが運営するチームに良かれと思い、いくつかを応用させていただいたものである。
孫氏の兵法書とは別に、その組織の強さ・弱さを見る指標として自責思考と他責思考の面から論述するものがあったので、読んでみた。我ながら自責の念や他責の念が組織の強さに影響するのかなと思いながら、その本の作者が言わんとしているところを拾ってみた。自責思考とは「何か問題が起きたときに、自分に原因があると考え、自らの言行や行動を改善して行こうとする思考」のことを意味している。一方、他責思考は「何か問題が起こった場合、他人に原因があると考え、他人に対して言行や行動を改善するように求める思考である」とされている。よくよく意味を考えると自分ながらに物事を反省して、改善を行うのが自責思考である。一方、他責思考は自分の問題としてとらえるのではなく、他人の問題としてとらえ、それなりの改善点を述べることだと思われた。しかしながら、他責思考は他人事の考え方である。自分は意見を言えるが、自分の責任でもないので、意見の垂れ流しに終わり、問題解決にはつながらないことがすぐに予測できる。当人は観察人(第3者の立場)であり、解決を求められている当事者ではないので、問題解決はそのまま放置されることになるだろう。
さて、この2つの思考を会社に当てはめて考えてみた。まず、他責思考の人間は自分の問題としてとらえることがないので、原因を突き詰めていくと「上司・組織が悪い」、「環境が悪い」等の注文ばかりが出てくることになる。このような意見では問題解決には至らないことは明白である。そして、論旨を不明確にするためか、言葉が多くなり、言い訳ばかりが目立つこととなる。聞いている人は語彙の多さに驚き、忠実のその真意を探ろうとして、脳内エネルギーを多大に消費することになる。そして、疲れて、論旨が通らない、言い訳ばかりを聞くことになる。諦観の念が聞く人を支配することになる。司会者が「言い訳が多いので、論旨を明確にして!」と言っても自分を守るために自らが持つ語彙を並べ連ねて、本質に踏み込まれないように考えているようにも受け止められる。結果として他人事の話になってしまう。傾聴という大事な精神を忘れてしまっている感がする。
しかしながら、自責思考の人は「自分のやり方がまずかったのでは?」「自分の配慮が至らなかった面があるのでは」と本人自らが改善しようとする。本質を探って、早々と解決に向けて立ち上がっていくことになる。その結果、自責思考の人が多い集団では、当事者意識が高いので、問題解決も早くなり、強い組織とも言える。しかしながら、他責思考ではまさにその逆の判断となる。他人事ではなかなか解決しそうにもない。
ただ、自責思考の強い人の注意点は自責の念があまりにも強いと鬱病になる傾向があるそうだ。心の健康も大事であることも配慮しなければならない。また、一点に集中して事に当たるので、周りに目が行き届かず、広い視野に欠けることにもなりそうだ。福祉の世界には自責の念が昂じて往々にして、うつ病を発症することが多いので、精神面での注意を払う必要がありそうだ。この件では誰々がそうであったなとすぐに言える現実がある。
今回、利用者から「高価な買い物をしたい」という要望があった。会議の場で「そんな高いものを買う必要はあるのか」、「何の目的で買いたいのか」「撮り鉄で色々な車両をとりたいのか」「芸術的な場面をとるために撮り鉄ではより機能の高いものを買う必要があるのか」等の議論もなく、後見人さんの発言で、意思決定支援が行われたことが問題となった。その会議に出席した職員から「自分は席を外していた」「はじめてその話を聞いた」「現場の声を聴いてこなかった」等など、自分は意思決定に預からなかったという言い訳ばかりが口をついて出てきた。当事者の立場に立って物事を考えることを意識していなかったという、自責思考の言葉が聞けないのは情けなかった。この話になった時に素直に「このような話の決め方で、意思決定支援と言えるのですか」と言えば、参加した人たちに「大事な点の議論がなおざりですよ」と警鐘を鳴らすことが出来たのにと思う。会議に出席した職員に「意思決定支援とは」の考え方が定着していなかったと考える。大石先生にはわが法人の職員には意思決定支援が身についていないことを認めざるを得ない。素直に謝るしかないようだ。
このようなことから考えると他人に責任をかぶせているのでは、弱い人たちの集まり(他責思考の集団)でしかないと思う。本来、会議の進め方ですぐに警鐘を鳴らす発言があってもしかるべきと思う。「そ」言葉使い方を学んだ時に、使ってはいけない接続詞が多用される例が多いことを学んだ。「でも」「けど」「だって」など、言ってはいけない否定の接続詞がオンパレードだ。言い訳ばかりが先立つ会話では実効は上がらない。これではこの組織の弱さを際立たせるばかりとなる。論点を明確にしようと上司が注意しても本人には優先すべき事項や本質的な理解が出来ていないので、壊れたレコードで発展性のない言葉の繰り返しとなる。こんな事を脇で見ていると「疲れるなー」と思ってしまう。意思決定支援など他人事と思っていることを改めて知ることになった。他責思考では消して解決には向かわないと知るべきだろう。良い支援者にはなりえぬ話だ。
「自分が『悪い』と思えば、周りが『良く』なる」という事例を参考にして考えてみた。
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