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【明石邦彦のつぶやき】81歳は戦後81年をさす。これからどうしようか? |
2026/9/7 |
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夏休みをとって誕生日を迎えることになった。私の誕生は終戦から2週間後のことである。福岡大空襲(1945.6.19~20)で、母は大きなおなかを抱えて焼夷弾から逃げ回ったという話を聞いたことがある。当時住んでいた呉服町周辺は焼け野ガ原となり、姉たちが通っていた奈良屋小学校の校庭には100人以上の死体が積み上げられていたそうだ。私は「よくぞ、弾にあたらず、私を生んでくれたな」と母には感謝の念で一杯である。終戦の日を迎えると私の両親に対する感謝の念で一杯の挨拶が仏壇前での定例となっている。下の兄とは9歳も離れているので、養子の話もあったそうである。私を貰い受けたい方に対し、父と母は断固として拒否したようである。焼け出されて、裸一貫となったが、この子のために頑張ろうという気持ちが強かったのであろう。また、年が離れている性で、兄弟からは大変可愛がられたと思う。兄たちからは野球などの手ほどき等を受けて、運動神経の方も高まったようである。幼少期はドパミン一杯の生活を送り、色々なことに興味が持てたのも家族の御蔭でもある。また、勉強も曲がりなりにも出来て、順調な生活だった。大学の入学時から「アルバイトはしないで、自分の好きなことに集中できる環境を整えるように」と長兄が両親に言ってくれた。そのため、好きなカミキリムシ採集にエネルギーを注ぐことになった。今から考えると我が家に虫仲間(長男はカミキリ屋)が増えることを目論んだようにも思える。
さて、戦後も81年となり、戦争の現実味は薄れてきたのだが、軍備拡充の話が強く出る世の中になった。自分は戦後の何もない時代から現在の満ち足りた時代で生活できてはいるが、なんだか周りの世界は騒がしい。ウクライナ、イランやガザ地区など戦火が飛び火して暇がない。第2次大戦も81年経つと「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の感である。戦争の悲惨さを体験していない世代は勇ましい言葉を吐くものだ。高市さんも何も考えずに、台湾有事などと騒いでいる。懲りない連中は常に存在するので、「歴史は繰り返す」の言葉通りになりそうだ。高校時代から「中国の歴史書を読みなさい。歴史は繰り返すから」と教えられた。中国の歴史を紐解けば、人間の征服欲は消えないものだと理解できる。このような教えもあり、社会人になっても中国の攻防の歴史書には興味が引かれた。戦略や兵の統率など、現代の組織を考える上でも役に立つので、ついつい中国史の本を読み漁ったものである。作者によって登場人物を見る視点が違うので、面白い。
なんだか感慨深い81歳の誕生日である。脊柱管狭窄症の手術という私にとっては初めて体にメスを入れたこともあり、手術後の興奮から新しい観点での目覚めが発生しているのかもしれない。
さて、中国の歴史を考えると第2次大戦は中国の人にとって日本に対する憎しみの強さは我々からすると計り知れないものがあると思った方がよさそうだ。今の習近平主席からすれば、高市政権は歴史の反省もない、憎むべき相手と理解しているのだろう。首相の歴史観の無さで、「台湾有事」の国会答弁から日中間のぎこちなさが引き起こされた。安部さんの言うことを信じて、自分なりの判断をしてこなかったツケでもある。よく引用される話は「戦争を仕掛けたものは75年程度でその戦争の痛みを忘れるものである。しかしながら、仕掛けられ、大きな傷を受けたものは100年経たないと恨みを忘れることはない」と言われている。時の経過が問題の解決となると思われる。差し詰め、習近平主席から見ると安部と高市は戦後生まれの歴史観のない若造だとして、日本に対する締め付けを決して緩めることはないだろう。靖国問題もそうだ。高市首相の参拝はしないが、遥拝という形で靖国に向けて挨拶をしたと報道された。その話がTVなどで報道されると習近平主席をはじめとした中国の政権にとっては快いものとは映らないはずだ。中国人と日本人では死後の世界観も違うようだ。私でも靖国の合祀については疑問を持って育った。戦争犯罪者がなぜ靖国で合祀されるのかは不思議でしょうがなかった。太平洋戦争でお国のためと言って、むなしく散っていった一般の人には何の罪もないと思うが、多くの人の命を失わせた責任は東条首相以下の戦犯の人たちにある。その人たちの責任を問う形にして靖国に入れるべきではないと思っている。「落日燃ゆ」の広田弘毅(福岡出身)は軍人ではなく、文官ながら「戦争を防げなかった」という形で責任を問われ、絞首刑に臨んだ。靖国の合祀には遺族でもよい顔はしなかったと聞く。昭和天皇は戦犯が合祀されたことを知り、一度も靖国には参拝しなかったという。GHQの影響下でもあったので、昭和天皇が怒るのは形だけであるかもしれないが、行かなかったことは事実である。怒髪天を衝くくらいの怒りと捉えた方が良いと考える。正しいかどうかは不明だが、大戦に導こうとする陸軍が「1か月の戦闘で中国を屈服させます」として、天皇を説得し、日中戦争に踏み出したそうだ。更に、軍部が「アメリカとは1か月で戦争が終結します」と太平洋戦争に踏み込むことを天皇に説明したそうである。しかし、中国での戦闘が長引いていることに苛立っている天皇は「中国大陸は広い。太平洋はさらに広い。1か月で済むはずがない。」と怒りの言葉を軍部に投げつけたようだ。しかしながら、軍部は天皇の言を受け付けなかったとされている。そのような人たち(軍部)が何故祀られるのかといまでも疑問に思っている。別に、私がGHQの意向に従ったという考えは全くない。GHQという存在もあまり認識がないし、極東裁判での死刑の判決を聞いても、幼くて理解できなかった話だ。
今思えば日本では「一度死んだら仏となる。死んだら現世での行い(罪)は問われない」とされているのではと思った。日本では仏教や神道の考え方はそういう理解なのだろう。しかるに、仏教を日本に伝来させてくれた中国では少しばかり考え方が違うようである。典型的な例として中国の春秋時代に遡ると呉の伍子胥の復讐話が思い出される。楚の平王の無道さから逃亡し、塗炭の苦しみの後に、闔閭、孫武とともに対楚戦争を勝ち抜いた話である。そして、父と兄を殺した平王の墓を暴き、300回も死体に鞭打つという残虐性を発揮し、積年の恨みを果たした。「死者に鞭打つ」という語源でもある。中国では死んでも仏とはならない考え方があるようだ。このような考え方がある限り、中国の人は戦犯を合祀するという日本の考え方には相容れぬものを感じることだろう。このような考え方がある限り、習近平主席の中国共産党では日本に対する確執は簡単に解けることはないだろう。日中間のわだかまりはまだまだ解決(妥協)までの年月が必要と思われる。100年くらい経って、中国では国益を考えて、妥協の産物としての日中戦争が語り継がれると理解した方がよさそうだ。
こんな考え方がよぎる81歳となった。あと20年経過するとどのように世の中は変わるのかしらと考える。孫たちに災禍が及びませんようにと祈るばかりだ。政治家にはしっかりした人が出てほしいものだ。小選挙区では大局観は育ちにくいのかなと思ったりする。右寄りの靖国だけの思想では世の中には通用しない。一元的になる原理主義的な考え方では人間の脳は楽して、活動を停止する。楽なことなんだけれど相手の立場などは考えられないようになるだろう。習近平主席やプーチン大統領の頭の中を想像できないことになり、稚拙な外交を繰り返すことになる。北方領土なんて解決しないことだろう。その結果、日本が窮する姿が目に浮かぶ。相手あっての戦略作りなので、冷徹に考える外交官の出現が待たれる。クラウゼビッツや孫武クラスの人物だ。外交は戦略であると思う。
なんだかぶつくさ・脱線が多い誕生日となった。
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