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【明石邦彦のつぶやき】スポーツ界にみる「長幼の序」 |
2026/7/3 |
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巨人の阿部監督が娘さんに暴行し、娘さんからの虐待通報がもとで、警察署に拘留され、とうとう監督を辞任する破目となった。暴行を受けた娘さんがAIに相談して、AIが指示した通り、児童相談所に通報したそうだ。その結果が辞任となった。監督辞任の弁で阿部前監督が会見した際に、娘さんが「このようなことになるなんて・・・」の言い訳というか弁明がなされていた。「今の若い人はAIの言うとおりに行動するのか?」また、「自分の判断はどうしたのだろう!」と思った。ある大学の先生は「教授が忙しいので、チャットGPTに相談する。これは私の相談相手だ」という発言を思い出した。このような話は「AIに自分の人生を相談するとは?どうして自分で決められないの。これではAIに使われてしまうのでは」とその人の未来について考えてしまう。「自分あってのAIだ」と思うのだが・・・。人生経験の浅い人はついつい頼ってしまうのだろうが、「決定権のあるのは私である」ということを忘れてはいけない。
この事件報道を見て、戦前生まれの高年齢の人からするとまだるっこい親子関係だと考えるようだ。広岡元巨人監督の言によると「親に口答えするのは間違っている。自分は娘に手を挙げたのは1回限りで、『おふくろを焚きつけやがって!』の一言を発し、ビンタした時だ」と述懐されている。一方では、巨人の山口オーナーを批判されていた。オーナーの「暴力は許されない」の一点張りが気に入らないそうだ。広岡さんは「どこまでが愛情で、どこまでが暴力か」というサジ加減の具合を山口オーナーが言及していないことに不満を述べている。そして、「今の日本は『長幼の序』を知らない」と怒っている。私には今の若い人には無理があるようにも思える。若い人は孟子の言葉(膝文公上篇:孟子は秩序ある社会を作っていくためには親や年長者に対する親愛・敬愛を忘れないことが肝要であると説いた)の意味を知らない人も多いと思われる。広岡さんは「今の世の中は目上の人を尊重する風習というか習慣というものがなくなっている」ことを指摘しているのだが、「長幼の序」も長い年月を経ると少しずつ変わりつつあることを頭に入れる必要があるようだ。
さて、儒教圏である韓国にはこの考え方は色濃く残っている。五倫(父子の親、君臣の義、夫婦の別、*長幼の序、朋友の信)の考え方が韓国の人間関係を語る上で大事なことだとされている。私は韓国の結婚式に出席したことがある。そこで見たものは結婚する夫婦が親に対して大仰すぎるほどの遜った態度に集約された儀式だった。その儀式を見ながら「孟子の精神は健在だな」と思った。最近では、その話にはオチがあるのではと考える。なんでも会合で飲み食いした代金は年長の人(結婚式は親の支払い)が全てを受け持つそうだ。私はどの会合に出ても年上となるケースが多いと思う。自ずと私が支払い担当の財布係になってしまうことになる。何故なら、若い人たちの現代的な受け止め方では「長幼の序」は単なる「年功序列」や「理不尽な上下関係」としてではなく、経験のある側(年寄)が責任をもって支え、若い側は学びつつも対等な人格として尊重されるべきとされているようだ。根底には年寄の無理なごり押し(年寄の言うことを聞け!)を暗に拒否している伏線があるようだ。
このような考え方が浸透しつつあるのは西洋社会の合理的な精神が持ち込まれているからと思う。欧米の企業の考え方からすれば、激烈な競争社会では当然のことながら優秀な若手が抜擢されるのが当たり前だ。親子関係においても人権は尊重されるべきものであり、立場は同格であるので、口の利き方は対等である。年長者が年下を従わせようという考え方では会社組織は持つはずがない。能力主義の世界においては年功序列の考え方は不適合とされるだろう。かくして、「長幼の序」も少なからず変更を求められているのではないかと考える。
こうなると年長者は良い意味で言えばサーバント・リーダーとしての役割である。変革する組織の長として若い人が活躍できるように年寄は下支えするのが当然となる。会社のような組織では合理的な体制変革を求められる時代であるから能力に限界のある年寄は「従え」となる。こうなると広岡さんの考え方では阿部監督の娘さんを説得することはできないだろう。親子でも対等の関係であるから山口オーナーの言うように「暴力は許されない」となる。
とはいえ、日本の球界では孟子の「長幼の序」は生きているようだ。今回のWBCでの選手決起集会のパーティ代(焼肉とか寿司?)はお金持ちの大谷選手や山本選手が支払うものと思っていたが、「豈はからんや!」、菅野投手に財布係のお鉢が回されたようだ。残念ながら「長幼の序」は死語にはなっていなかった。なんだか私には歓迎すべきではない向かい風?というべきか。高齢者は財布係の意味でしかないとなると若い人には歓迎すべきことだろう。
*長幼の序:年長者と年少者には守るべき秩序や礼儀があるという考え方
年少者は年長者を敬い、従わなければならない。長く生きているということは、
そのことだけで尊い。年長者を敬うことは当然である。
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