社会福祉法人 あおぞら共生会
社会福祉法人 あおぞら共生会 - 川崎市川崎区京町

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あおぞらブログ


【理事長 明石邦彦のつぶやき】飯塚先生との関わり 2022/6/28
 市会議員の飯塚先生の訃報がもたらされた。8期にわたる活動の途中での死であった。71歳である。8期目の選挙の前に「出馬しないで社会貢献活動をしたらどうか。川崎区の地域活動支援センター(地活セ)のまとめ役として手伝ってほしい」と述べ、引退を期待したが、「もう1期やりたい」とのことであった。そのため、川崎区の地活セをまとめる合従連衡策はその後ということになった。合従連衡とは弱い国がまとまり、強大な国に対抗して考えられた中国戦国時代の策である。川崎地区の地活セがいずれにしても曲がり角に来ており、このままでは後継者不足で消滅することを考えての生き残り戦略である。横目で地活セをまとめる障作連の活動の衰退を見て、私なりに発想した考えであった。飯塚先生にこの話を持ち掛けて、賛同していただき、いずれの時か実行しようと思っていた。あおぞら共生会単独では力不足のため、顧問をしていただいていた先生にまとめ役をお願いしたのである。議員活動を終わったら進めたいと思っていたのだが、先生の早めの旅立ちはとても残念なことである。もちろんお願いした時は法人の理事長もお願いするつもりでいたこともあった。しかしながら、飯塚先生の議員活動の広がりを見たときは何年か前にあきらめていた。しかし、合従連衡策などは議員活動が終わっても川崎区内ではまとめられると思っていただけにチャンスを逃すことになるのではと思っている。返す返すも悔しい肺がんの再発である。先生の奥様は1年ほど前に乳がんで亡くなられた。なんだかすぐに後を追われたような感がする。以前、盆暮に品物をもって事務所を訪ねた時、いつもは事務員の方にお渡しするのであるが、たまたま先生が事務所にいらっしゃったので、言葉を交わした。その時に先生の顔色が浅黒く見えたので、健康を害しているのではと心配した。コロナのため賀詞交換会などでお会いする機会が減ったので、顔色はあまり見ることはなかったのであるが、お会いした印象は「ご病気では」と懸念された。その後の奥様の葬儀の時に喪主である先生は肺がん手術をし、闘病中であると聞いたので、やっぱりそうかと思った。飯塚先生のHPのホットラインを訪ねると市議会での質問の時に「療養中で、ウイッグをかぶって質問をする」との記事があった。再発防止のため治療を続けられていたのだろう。
 さて、明石家と飯塚先生の関係は徹之が川崎市の公務員試験に合格した後の関係が密である。飯塚先生は市職労の出身であったため、合格後、ポストがあくまで待たされていた徹之を現業で務められる所(堤根処理センター)にプッシュしていただいたことである。市会議員として初めての仕事になったのであろうか、熱心にお世話していただいた。おかげさまで徹之は30年ほどの公務員生活での障壁を何度も乗り越えながら現在も元気に努めている。先生にはその頃からあおぞら共生会の前進のボランティア組織にかかわっていただき、いろいろな面で支援していただいた。社会福祉法人としてあおぞら共生会を立ち上げた時は正式に顧問として活躍していただいた。また、私の後任の理事長を考える時には、先生に「だれか適切な方がいらっしゃいませんか」とお願いし。先生の伝手で2名ほどの方をすぐに紹介していただいたが、残念ながらマッチしなかった。そして、最後はあおぞら共生会の理事長になったらとの話も出てくるようになった。議員としての活動の他に韓国との姉妹都市の話や佐藤惣之助の歌碑の移設など幅広く活動しておられたので、当法人の理事長はご遠慮したが、まことに大切な人を失って残念でならない。
 奥様の葬儀の後、自宅に帰るときにタクシーを使ったら、運転手が「飯塚議員の奥様の葬儀に出席されたのですか」と聞かれたので、「そうだ」と答えたら、タクシー運転手さんが「議員さんには家庭のトラブルの時には大変お世話になった。本来なら、仕事をしないで葬儀に駆け付けなければならないのだが、生活もあるので」という話をされた。市井のこのような人たちにもいろいろと世話をされた議員なのだと思い、その時は体を大切にしてほしいと思ったものである。奥様の葬儀以降、肺がん治療を考えると再発もありうると思っていたので、覚悟はしていた。夏にお中元として持っていくメロンはご仏前に切り替えて、奥様ともども線香をあげる予定だ。
なお、味の素出身の城島光力議員(民主党国会議員)の選挙活動ではまとめ役として活躍していただき感謝している。また、先生の市会議員選挙の時はしっかり政治献金させていただいた。期待にたがわずパワフルな議員活動をしていただき、本当に尊敬する人であった。惜しい人物を失ってしまったものだ。
 最後に、以前味の素のOBが米国で使われている生物学の教科書副読本を翻訳し、出版した時、出来上がったばかりの本を送呈した。超党派の市会議員連盟で川崎市の全中学・全高校の図書室への寄贈の話を持っていったことがあった。先生によると議員活動としてはできないが、篤志家を集めてやればすぐにできるのではという話になった。この話も延び延びになってしまったことが残念だ。この本は栄光学院の生徒たちの参考書として学生一人一人(約200名)が購入した話もあったのに・・・。今の若い人たちには科学教育の充実は必須だと思われるのに・・・と思ったりした。このように先生との話の数々が思い出される。あらためてご冥福をお祈り申し上げます。

写真:1.故飯塚正良議員  2.堤根処理センター(徹之の最初の就労場所)


 



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